a loose boy

ア・ルース・ボーイ

著者:佐伯 一麦
販売元:新潮社
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 借り物。文章量が少なかったので、一気に読了。
 いや、いいタイミングで貸していただきました。急川先輩感謝。

 この本を読んだ感想。
 おそらく著者の意図を汲んでいない感想です。

 それは主人公一人称視点で描かれ、いかに自分の過去がどうで、今現在自分を支えているものが何かを語っているということです。主人公の、loose=自由な生き様と、その代償について語られていますが、それは実は、自分ひとり視点のものであるということに、非常に深みを感じました。

 よく言えば、自信。悪く言えば、自己暗示。
 
 この話は、高校中退の主人公と、同じく高校中退で、誰のとも知らぬ子を産んでしまった少女との、同棲物語なのですが、後者の少女は、実はあまり物語にからみません。あくまで、主人公の動機づけというか、尻に火をつける役回りです(というと妙な語弊があるかもしれませんが)。
 彼女との間に起きるトラブルや、仕事場の人との話を通じて、主人公が自分の居場所を確定させていく話です。最後は、電気配管の仕事で、中退した高校の卒業式に立ち会う、というエンディングです。彼は並んだ卒業生を見下ろして、幕となります。
 あくまで、主人公の決意の課程を示した作品です。

 結局のところ。
 人間は一人で何かを見つけ出し、一人で何かをしなければならない。自由の代償とは、選択できる代償とはそういうものだと思い知らされます。


 ――自分は現在、この物語の主人公のようにlooseなところにいます。が、そのことに胸を張れるか? といったら、答えに詰まってしまいます。

 作中の彼は、情愛とそれを支える生活に「活路」を見出しました。
 しかし僕にはそれがありません。
 尚且つ、別段欲しいとも、思いません。
 今、それにすがってしまうのは、単なる弱さだと思っているからです。
 この作品が示すとおり、結局のところ、人間は孤独なのですし。

 情などという鬱陶しいものを纏わず、自分の野望を達成すればいい。そんな、「誰か」のために生きるなどというカッコつける気はまるでありません。僕は、おそらく自分、そして僕を知る方の想像以上に自己中心的なのです。自分の生き方に胸を張れれば、おそらく、僕は満足です。

 ……本日、僕は仕事場の同僚と飲んだ後の後楽園駅で、一つ歳を重ねました。この本によって、一つ、自分の中で「決意のようなもの」を固めた、そんな夜でした。
 
 何故戦うのか、それは剣に聞け。
 正義だとか愛など、俺は追い求めない。
 (JAM Project牙狼』より)

 切ないぜ、どしゃ降りの、涙の雨さ。
 降り積もれ、心から、離れない、悲しみよ。
 (ボトムズ外伝メロウリンク『ソルジャー・ブルー』より)

 心に響いた名曲と共に、眠りに落ちます……zzz。