髑髏ナイフでジャンプ

骸骨ナイフでジャンプ

著者:阿智 太郎
販売元:メディアワークス
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 というわけで、阿智さん作品です。
 実は『ドッコイダー』をかをアニメで見ていたのにも関わらず、阿智さんの原作をしっかり読むのはこれがはじめてだったりします。うーん、メディアミックスって怖いですね。

 さて、まあ、

 ずがーん!

 とか

 ドカーン!
 
 みたいな、いわゆるサウンドエフェクト的表現はなんともラノベ的というか、ああ、若年層へのつかみは良いなという感覚です。が、この作品は話が普通すぎるというか、微妙な話をしているというか……。

 用は、男女が髑髏ナイフの効果で異世界へ飛ばされ、実はそのナイフがその世界で名をはせた海賊の宝を指し示すもので、そのまま冒険のたびへ――。という極めて普通の話。しかもその海賊の名前が『ブラックモジャー』と、明らかに集英社連載の某マンガを想起させるネーミング。

 つかみはオッケー。だけども……。
 少々インパクトに欠けるというか、弾けているイメージだった阿智さんの作品として、やや肩すかしを食らった感じがあります。いや、阿智さんのイメージは、僕の勝手なものなのですけど。


 とはいえしかし、こういった児童文庫から一歩踏み出した位置にあるラノベというのは個人的に必要だと思います。
 それは、例を挙げるなら『ズッコケ三人組』→『シャナ』や『ハルヒ』っていうのは、あんまり健全な流れでない気がするからで、さらに言えば児童文学のすぐ後に『いぬかみっ』とか読んだとかいう人間がいたら、僕は驚きのあまり、少々疑心暗鬼になってしまうことでしょう。

 より具体的に言うと『シャナ』や『いぬかみ』――いわゆる現代の代表的ラノベの多くはいわゆる萌えの影響が強すぎます。『ハルヒ』はそういう部分を含みつつ、実はマンガ的な非日常の存在とか、そういったもののアーキタイプを知っておかないと読めない小説で、ある程度いろいろなものに触れた、いわばハイヲタ向きだと言えます。
 どの作品も、ヲタク層を取り込むことには成功した作品でしたが、現在、単純に児童文庫やマンガから飛びつくものとして、ラノベは実は「ライト」でなくなってきているのでは? 敷居が高くなってきている部分があるのでは? という感覚があります。

 まあ、今回、その風潮が真か偽か、是か非かについてはおいておくにしても、少なくとも教科書と図書館でちょっと読んだ児童文学で終り、それで活字――もとい文章離れをしてしまうのはあまりに寂しいことではないでしょうか。この点はひとそれぞれでしょうが、僕にとって富士見の『オーフェン』などがそうだったように、新しい世代の人々が、文章メディアに触れ続けるための一つの足がかりになれるという意味で、『髑髏ナイフ』は非常に有意義な立ち居地の作品ではないかと、そう感じました。

 さて踏み出したその先は……まあこれもやはり本人次第でしょうが、僕は「〜くらいは読んどかなきゃいかん」みたいな文学的ファンダメンタリズムが大嫌いなので、そこから萌えに走るもよし、ラノベに浸かるもよし、SFに興味を持つもよし、古典文学を紐解いてみるもよしだと考えます。
 ともかく、文章というフィールドがあると知れることが、大事なのだと思います。

 
 とはいえ、この作品単体としてはもう一本ほしいよなぁという感想が頭から離れません。なんか、その目標を達成しつつ、一発魅せるやり方があったような……そんな気がしてならないのです。
 個人的な評価としては少々辛い作品ではありますが、現代の文章メディアについて、ふと考えさせられる作品であったことは確かです。奇をてらうだけでなく、割と普通≒王道一直線というのが、重要なときもあるのでしょう、きっと。