ぼくと魔女式アポカリプス

ぼくと魔女式アポカリプス ぼくと魔女式アポカリプス

著者:水瀬 葉月
販売元:メディアワークス
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 最近は、どうにもラノベという媒体の強さを再認識しつつあります。
 仕事をしながらでも、合間に読みすすめられる。
 これは強い。
 
 だって、「われはロボット」は噛み砕きながら読むのに5日かかったのに、「リリアとトレイズ」の1巻は一日半くらいのスパンで読めてしまったし、この「魔女式」も、伏線豊かで固めの文体とはいえ3日で読めたんですよ? ミステリー小説の簡易化といいますか「一読すればとりあえず理解できる」という作り方になっていっているのは、購買層の多くがサラリーマンで、通勤の電車内などを利用して読んでいるから、というのは聞いたことがありますが、手軽に読める活字媒体、というのはやはり需要があるのかな、と思います。

 ここ最近コツを覚えたせいで、大分活字にも手を出せるようになりましたね。といっても胸の内ポケットへ、文庫を常に一冊入れておくというだけなんですが(汗)。ふっ、と手が空いたなと思った時に無造作に取り出せて読めるのでかなりGOODです。
 あれです、あれ。ナイフとか拳銃を懐に忍ばせておくような感じですね。
 え、違う?
 でも夏には向かないスタイルだなーコレは。

 さて、ともかく「魔女式アポカリプス」です。
 ふむ……良く練ってるけど……というのが読後の感想でしょうか。
 自傷行為が魔法になるとか、その魔法の反動とか、いろいろ設定が詰め込まれていてそれを利用したトリックが駆使されているのですが、なんか、こう「話の中にトリックが生きている」感じじゃなく、「トリックをしたいがために話を作ったらこうなった」感じがします。つまらないわけではないですが、物語に没頭させてくれるというよりは、強引に引っ張られる感じがしました。後半はその気が強かった気がします。

 特に、一人称視点であるというのはちょいと裏目だったかもしれません。
 主人公はいわゆる「達観したタイプの不良」なんですが、その割には魔女たちのことを調べる動機が「興味本意」だったりとか、最後の幼馴染への感情もとってつけたようだったりとか、キャラとして不安定で移入度が薄いのです。
 敵との知恵比べみたいな要素が入っているので、そこに比重を置くならこの形の一人称でもいい――つまり移入度が高すぎると、読み手は話を俯瞰で見なくなるので、トリックの伏線張っているのに気がつかないから――とは思うんですが、それにしても思考が都合良すぎるんだよなぁ……。

 さらに言えば、魔法大系ごとのいわゆる「特殊能力モノ」バトルなので、つまるところの、
 「実はこんなことが出来たんだよ! こうなっていたんだよ!」
 「な、なんだってー!」
 というのがあって、折角の伏線にして積んだものをフイにしているところがあり、しかもそれを、一人称視点であることを利用して主人公が独白の中で自己完結させている部分があるので、先ほどのような「引っ張られている」感じを受けるのではないか、と思います。

 あとはノートPCとかオブジェクトの配置とかは、ちょっと狙いすぎだろうと。また伏線のからみもあってか、いわゆる「主人公視点ながら、主人公の知らない情報が出てくるシーン」があるのもちょっと不思議だなぁと感じながら読んでました。

 総評すると――最初に戻るのですが、設定とトリックが前提にあり、物語と人物はそれに盛り足されたものという印象が強い作品です。前提に置かれたものは秀逸ですし、読みすすめていくにつれてなるほどと思わされるのですが、ストーリー・ラインとキャラクターがぎこちないので、残念ながら素直に「面白い」とはいえないかなぁ。 あ、あと狙った眼鏡っ子って、だめだわ俺。

 しっかし、この話、一部記号がかぶってるんですよ。僕が某所に投稿した小説と。
 「主人公の能力が発現すると女体化する」
 「主人公の能力が、地味(攻撃手段は『椅子の足で殴る』)」
 いや、この二点なんですけどね。
 図らずもかぶってる話って、多いやねー。