新番組レビュー続き:ライオン丸G
新番紹介つづき。丸々1ページライオン丸G。
だめ。
最近の特撮ブームに乗って発行元=スクエニがとりあえずやってみた、としか思えん。
というのが基本的見解。
殺陣はそれなりだけど、設定とか見ても低予算ミエミエだし。
なのだけれど、個人的にはちょっと期待している一作である。
なぜなら「変身」というものをまだしっかり認識して作っているように見えるから。
主人公獅子丸は、自分がライオン丸になることに疑惑と不快感を抱いているからである。
そもそも、変身とか、ロボットに乗り込む・操るという考え方は日本独自のものと言える。
アメリカは肉体信仰がつよい。本人の体が強い=「強さ」なのだ。だからスーパーマンとかバットマンが受けるし、シュワルツネッガーやスタローンみたいな筋骨隆々のヒーローが好まれる。派生してもスパイダーマン・X-メンなどのように「肉体が変化している」系が多い。
対照的に日本のヒーローは、身体を鍛えている人はいるものの、最終的に何かに変身したり、何かに乗ったり、別のものの力を借りたりして「自分以外のものを纏って強さを得る」パターンが多いといえる。
ウルトラマン・仮面ライダー・ガンダム・セーラームーン・戦隊モノ等々、実はこの例外にあたるものは日本作品では少ない。
で、この「纏って力を得る」ということ、そしてその代償がなんであるかということを、世界的に名作と呼ばれる作品は共通して、はっきりととららえてきたように思う。
ライダー改造されて強い力を得た代わりに、は己の傷を隠すために仮面をかぶる。
ウルトラマンは怪獣と戦う力を得る代わりに、他人に正体をあかせない。
戦隊モノも同じ。
そして、ガンダムは「相手がロボット」ということで、人と人との殺し合いをディフォルメして見せた。
「相手がザクなら、人間じゃないんだ」
アムロ・レイの言葉である。
この、強さという「纏った」もののジレンマが歴代作品に強いストーリー性を持たせてきたと、僕は思っている。
すぐ上に上げたガンダムを例にするならば、
「彼はガンダムを駆り、少年兵ながらも、多くの敵を打ち倒していく。しかし、初めて殺害する相手を自覚し、しかもニュータイプの力で気持ちも通じ合った少女ララァを殺してしまう――」
という感じである。
つまりその「纏い」が構築されるまで、そしてそれがいかにはがされるか、そしてはがされたあとのエピソードがどうなるか、というところの上手さが、世代を超えて語られる大作にはある気がするのである。
回りくどくなったが、ライオン丸Gは、主人公がヘタレとはいえ「変身する」ことの怖さを自覚している(ようには見えないので、本能的に嫌がっているというのが正しいか)点があり、面白さは少々微妙だが、非常に興味深いものに思えるのだ。
ちょっと期待してみていきたい一本である。
※蛇足追記
ガンダムといえば。
そういう意味ではガンダムSEEDは非常におしい作品だったなぁと。
あれで1クールちょっとくらい、キラとアスランがお互いがMSに乗っていると知らないまま進んでいって、各自の戦う理由が固まったところで、今までビームサーベルを交えていた相手を知って困惑、という流れだったらすっげー面白くなったと思うのは僕だけでしょうかね? 最初から仲良すぎだよあいつら。
逆に「纏っている」ことを上手く悲劇を描いたのはガンダム0080か。あれはモビルスーツという鉄の壁で互いの顔が見えないことがなければ生まれないエピソード。
0083は、モビルスーツを、完全に「意思を貫くもののための騎士甲冑」としてた感じがする。それはそれでいい感じを出していた。逆シャアもこれと似てるんだけど、実はあれνガンダムとサザビーがなくても……。というか人と人との決着という要素のが強いですね。
そんな、仕事疲れの勢いで、何書いてるんだか良くわかんないブログ。
と、予防線を張っておくあたり、性格悪いなぁ俺。