7%の重さ

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 真面目な本を。

 というわけで、DONEさんよりお借りしていたこの本を読了いたしましたっ。



 まあ噛み砕くと「人が他者から読み取る情報は、言葉の内容よりもその人の社会的地位やしぐさ、匂いや色などの生理的なものによって大部分が決定される」というものです。僕が卒業論文で扱ったりしたジンバルドのロールプレイ実験なども持ち出してきて、本格的に検証しています。



 内容には、概ね納得。氏に言わせれば、言語の内容によるコミュニケーションというのは対人コミュニケーションの7%だといいます。

 うーん。確かに。

 こういったコミュニケーション要素(文中の言葉を借りれば「ノンバーバルコミュニケーション」)は対人関係に大きな影響がありますし、しぐさなどの分析も至極納得できるますねー。





 ただ、一点。

 気にいらない。



 作者は演劇の監督であり、漫画原作者でもあるので、キャラクターを視覚的に捕らえるという能力に特化した方。ノンバーバルコミュニケーションの重要性を、切々と語っている。それは大変に面白いし、共感できる。



 では、なんで「言語以外のコミュニケーション」を語るのに、「活字」という媒体を選んだのか(挿絵はありますけど)?



 なぜ小林よしのり氏などのように、自分の説を誰か漫画家を使うなどして、わかり易い形で展開しないのか? 本文でも述べられているように、漫画にすればわかりやすい(しかもひょっとすればベストセラーになるような内容であるのに)。筆者の説はもっと伝わりやすくなるはずである。



 

 僕がこの人の理論を気に喰わないと思ったわけは、ノンバーバルコミュニケーションを主張し「受信者の受け取る情報を100とするなら、内容なんて7%、他の身振りなどのことに93%のことから意味をとる」と語りながら、活字という媒体、ある意味で「7%」の極みともいえる方法で語っていること。

 

 いや、もちろんこういうものを執筆し、公共の場に出せるという社会的立場は氏のいう「ノンバーバルな」ものではあるんだけれども。でも、結局氏は「7%」に頼っているのではないか?





 氏には、申し訳ないし、自分が言えた立場でもない。

 けれどあえて言わせてもらえば7%は「不動であり絶対の」7%でもある。だから、この7%という基盤が理解できて、初めて氏のいう「ノンバーバルコミュニケーションを理解する」部分に達するのだと僕は思う。

 言葉の意味を理解できず、内容を把握できなければ、そもそも「ノンバーバルコミュニケーション」の意味を追求することはできないのだ。しぐさなどから「察する」力はつかない。

 

 まあ、ニワトリ&タマゴのどちらが先かという堂々巡りにはなってしまうのだが、僕は少なくともそう感じた。

 

 まして、作中でも触れられていた通りメールが普及し、さらにweb掲示板やmixiといったものがコミュニティとして機能し始めた昨今としては7%はもう既に7%の枠に留まるものではなくなっている。



 このブログもその最たるものだが、人々は表情ももしぐさも、色もにおいも見えない他者から情報を読み取る必要性に迫られているのである。

 



 この筆者のいうことは良く理解できる。

 対人コミュニケーションに多くの要素が絡むことは、確かだ。

 氏自身も述べているが、そういうハウツー本は確かに有益である。



 が、内容という「7%」の意味をやや軽視しているように感じられる点。そして現在における「7%」需要の拡大に関してほとんど頓着していないように感じる点は、残念ながら納得できない部分だった。





 そういう意味で、筆者が次回作として「7%の世界」のような本を執筆してくれることを、強く期待している。



 まあ、こう感じるのはこのブログや小説など「7%」をいかに伝えるかということに心血を注いでいる自分が感じたコンプレックスからくるものかもしれないけれど――。





 さて。

 ちなみに今回もちょっと文章を凝ってみているのですがご理解いただけたでしょうか? 

 何か汲み取っていただければ幸いです。が、こんなことを書いたら、文章を書くものとしては負けですか(汗)。