黒澤明 『静かなる決闘』
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さて、本当に節操ないブログとなってまいりました。
ZOについて語ったと思ったら「牙狼」の歌いにくさについて言及し、近況報告と履歴書についての愚痴をしつつ『ポーの一族』を取り上げた上で今度は黒澤とは。
こちらも急川さんからの借り物。
特にお薦めということでこの『静かなる決闘』である。
いや、流石。手放しで名作と言えた。
本当の意味で「わかり易く且つ良い作品」とは「作品のパーツ全てが見え、作者の技巧が見える作品」だと実感した。
あらすじ。
主人公である若き医者、藤崎恭二は第二次大戦で軍医として従軍した際、手術中のミスから悪性の梅毒に感染してしまう。
終戦後、復員し街医者となった彼は、そのため許婚であった美佐緒と添い遂げられないことに苦悩しながらも、入院患者を救おうとする。
しかも、彼は美佐緒に理由を話せないまま。
美佐緒は、その理由を尋ねるために足しげく診療所に通うのだが――。
……この作品には二つの大きな山がある。
一つは、すれた生活をしていて妊娠したまま診療所に拾われた女。
彼女は、医者として理性的に接してくる恭二を嫌い、腹の子どもを殺して欲しいとまで言う。が、恭二が抱える悲しみを知り、認識を改める。そして、徐々に恭二の手助けをするようになる。
もう一つは、自分に梅毒を感染させた男が女を孕ませて診療所に来る話である。
この過程で、恭二という理性的な医者に、ストレスが蓄積していく。
一つ目の子どもを下ろす下ろさない、という話はそもそも愛する人と行為すらできないコンプレックスを恭二に与えていく(そもそも、自分は愛する人と子を作れないということを自覚したから、恭二は彼女を診療所に拾ったのだろう)。
そして二つ目の山、自分に梅毒を感染させた男が出てくるところは更なるストレスを彼に与える。
自分は、梅毒のために愛する人と添い遂げられない。しかし、そのことを無自覚に女性を傷つけ、自分の好き放題に生きている人間がいる。
そのジレンマと戦いながらも、恭二は医者としてなお彼に診療を薦め、被害者である女性の治療に全力を傾ける。
――そして、ついに許婚の美佐緒は、別の男の下に行くことになる。
彼は、最後に彼女に茶を振舞って、真顔で送り出す。
このシーンまで、恭二という人物は常に医者であり、人徳者である。しかし、ストレスはここで最高潮になる。
冷静な医者、恭二が、感情をむき出しにする最初で最後のシーンが、ここで挿入される。
「男の人の欲望って、そう簡単に自制できるものなんですか?」
という、事情を知る看護婦の質問。彼はそれにこう答える。
「患者にも2タイプいるだろう? イタイイタイと喚く奴と――脂汗を流して我慢する奴だ」
その後幾度かの会話の後、彼は「キレ」る。聴診器を投げつけ、椅子を蹴り飛ばし、激昂する。
「どうして俺がこんなことに!」
「愛する人を奪われるのを、黙ってみていなければならないんだ!」
……そう。人の「怒り」とはこういうものなのだ。
ダムのように決壊する理性。普段冷静な男が怒声を上げ、涙を流しながら醜く叫びをあげる。
膨大な量の水をそれまでの展開で蓄積していき、最後の最後で爆発させる。そうすることで激昂を印象深く、切なく作り上げる。
その手法は、現代におけるメディア作品の「怒り」のシーンを、全て陳腐なものに感じさせるほど上手かった。
もちろん、性的なものという前提があり、自らが男であるということもこの感情移入に関与しているだろうが。
小競り合いはあるものの、この物語に物理的戦闘シーンはない。
ただひたすら恭二という知的な男が、「脂汗を流しながら」己の欲望と戦い、理性を貫くための葛藤が続く。
恭二の中の、美佐緒への愛という欲望と、犯してはならないという理性との戦い。
それがこの『静かなる決闘』の意味なのである。
最後、恭二は聖人とたたえられるまでの医者となる。
彼は最後まで理性に生きることを選んだのだ。
愛するが故、愛する人を捨て、不幸な誰かを救うために――脂汗を流しながら。
医者としては、多分『ブラックジャック』よりも数段悲しく、そして研ぎ澄まされた生き方ではないかと、僕は思う。
こういう言い方をするのは作品の主題に反するし、作品を貶めることかもしれない。しかし、恭二という男の孤高の生き様はそれほどまでにかっこいい。
この生き方を真似できる人間が果たしてどのくらいいるのだろうか?