仮面ライダー響鬼 終了!
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↑は劇場版。
一見の価値アリ。詳細はここの過去ログにて。
さて一日遅れの終了レビューとなりました。
個人的には、やはり残念という感が拭えない最終回となった気がします。webでも、かなり賛否両論が飛び交っております。
29話以降、オロチという現象を経ることで全体的にキャラクターの厚みが増し、確かにドラマとしては面白くなったと思います。しかし、井上氏のやや悪い癖か、若干展開を詰め込みすぎたのか、若干消化不良の残るエンドとなってしまいました。
何でさらわれるんだ持田。
何でアームドセイバーの必殺技に明日夢巻き込んでんだ響鬼さん。
オロチ現象も、響鬼が力技でまとめた感が強く出てしまい、明日夢の将来の決定も、やや確信に迫るものに出来なかった。桐矢の心理的ステップアップももう少し欲しかったところだし……。あれだけ死にたくないという意思を吐露して繋げた威吹鬼さんがないがしろだし。轟鬼さんは……斬鬼さんの回で完結した人なので問題なしか。
あと「1年後」という話だが、それはある程度物語やキャラクターに積み重ねがあってようやく厚みのでる演出なわけで。「その1年でいろいろあったんだ!」という意図は汲みたいものの、見た目がしっくり来ない。
あれ、最近似たようなことをどっかで書いたような……(汗)。つくづく、商業作品では、「やりたいこと」と「尺の長さ」と「予算」というのは競合しますなあ。
なんというか、中途半端な最終回でしたが、とはいえ、明日夢少年と響鬼の師弟は決着し、そして夕日を眺めました。この最後のシーンに行き着けたのは、『響鬼』の決着として相応しいものだったでしょう。
ありがとう『響鬼』!
さらば『響鬼』!
……。
しかし。
平成仮面ライダーで『アマゾン』の位置を冠せられ、和風古風といいう「異色さ」をウリにした『響鬼』が、まったく別の「異形さ」――現代のメディア製作現場が抱えるジレンマを露呈したというのは、偶然にしてはなんと出来すぎた、そしていやらしい皮肉ではないかと。
『響鬼』という作品の最大の不幸は、この作品に対する評価が、そっくりそのままこの動乱の評価となってしまうことに他ならない。逆に、『響鬼』はそれゆえに、今後の特撮界に名を残していく作品でもあるのだろうが……。
一応、同人とはいえモノを書き、それを見て欲しいと切に願うものにとっては、それはとても寂しいことのように思える。
変身音叉「音角」の、涼しげな音が通り、
そうして『鬼』が、1年を駆け抜ける。
僕が見たかったのは、こんな風景なのかもしれないと、いまさらながら思ったりする。
まあ高寺P完投か、最初から白倉Pなのかはともかく。