というわけで

幼年期の終り

早川書房
アーサー・C・クラーク, 福島 正実

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 図書館でちょっと卒論書いてから、無性に読み終えたくなって読んでしまいました。



 というわけで『幼年期の終わり』読了。

 

 いや、やはり名作と名高いだけはある作品でした。

 若干回りくどく、分りにくいところもあるのですが、そのあたりはさておいても良かった。



 基本的には純粋SF。

 現代の地球の上空に飛来する宇宙船。その中に存在する高水準技術を持った宇宙人がいた。かれらは、人類とコンタクトをとり、非常に平和かつ理想的な方法で人類を管理し始める。果たしてその真相とは……という内容。

 本書は三部構成であり、第一部は「上帝(オーバーロード)」と呼ばれるようになった宇宙人たちの長、カレルレンと会談する役割にある国連事務総長ストルムグレンが、オーバーロードの真意について探ろうとするエピソード。二部は、それから五十年がたち、オーバーロードの存在が一般化したあと、一人のオーバーロードと人々の接触、そしてそこで起こる奇妙な事件を描くエピソード。そして、三部はオーバーロードの真意と、そして、オーバーロードの船に密航した人物の視点から、人類の「幼年期の終わり」見つめるエピソードとなっています。



 ある程度のあらすじを書きたいのですが、さすがにこれはあらすじを書くのがためらわれる。是非直接読んでいただきたい。



 しかし、オーバーロードたちの行動原理は極めて合理的で面白かった。彼らの方法論は確実に人類より上のそれなのですが、結局人類が辿る進化の道は、オーバーロードとは全く別のところにあった……。

 急川さんからお借りした「悪役辞典(すいません正式名称ど忘れ)」にはその様子を観察しつつ打算的に人類と接触するオーバーロードの長カレルレンについて結構微妙な考察が書いてあったのですが、頭が良いのであれば、極めて合理的かつ普通の発想のような気がします。悪意とかうんぬんとかでなく。人間もオーバーロードのような進化をすれば、同じ考え方しますよ、多分。



 しかし最初オーバーロードと人間の話であるとミスリードさせておいて、徐々に話の筋をシフトさせていく……。作り方も上手い。ミスリードは上手くやらないと非常に滑稽で、胡散臭くなってしまうのですが、これは上手い。





 あと、個人的に、オーバーロードの「平和的な」支配の中にあって、人類の可能性を模索した芸術家たちがアテネに集い、お互いを刺激し合える環境を作るというエピソードもかなり良かった。

 その中で、ひどく印象に残った文章があります。



〜世界はいまや泰平無事で、何の面白みもなく、そして文化的には死んだも同然です。オーバーロードがやってきて以来、本当に新しいものは何一つとして創造されとりません。そうなった理由は明白だ。そのために戦うべき目的が何一つ残されていないからであり、あまりに多くの気晴らしや娯楽がありすぎるのです。現在ではラジオもテレビも、あらゆるチャンネルから、毎日毎日述べ五百時間にもなろうという番組が氾濫している。あなたはこの事実に気づいていますか? 一日中眠らず、他の事はいっさいせずにラジオ、テレビにかかりきりになっていても毎日スイッチをひねるるだけで出てくる娯楽番組の二十分の一も見聞きできないのですよ! 人類が受動的なスポンジに――吸収するばかりで決して創造しない動物になってしまったのも不思議はありません。〜



 作り手としてのクラークの言いたかったことが、ここに滲んでいる気がします。

 

 そして、既に日本ではこれは紛れもない現実として起こっているのではないか!?

 とも思います。

 「職人」ではない誰かによって過多に供給される「量産型の」文化。作中ではオーバーロードがこれを行っていますが、日本現代社会では――いうまでもありますまい。「職人」でなく「商人」であり、企業です。資本主義社会なんだから当然だなぁ。



 肥大化した企業は、人類に全てを与えるオーバーロードになりえるのだろうか……。そう考えると、オーバーロードってなんだったんだろう……? では日本人は、創造の行き止まりに差し掛かっているのではないか……?



 などといろいろ考えてしまいます。



 とにかく一読ください。

 最後にプロローグの最後の文を引用。これは有名だなぁ。



「人類はもはや孤独ではないのだ」