討論論

 本日は作品の書き方をめぐって、部室で討論している二人を発見。

 後輩のFeltくんと、凪沙くんですねぇ。



 いいことだ。やれやれー。



 酷い先輩と感じられる方も多いかと思いますが――。

 いやあ、僕は残念ながら討論できるだけの同年代には恵まれなかったので……こういうのはいいなあ、と思ってしまうのです。

 それに相手の考え方もよく分かる機会ですしね。

 



 

 意見を戦わせるというのは社会に出れば否応なしに強いられたりすることでしょうから、出来たほうがいいと僕は思います。いざというときに出来ないと「あいつはこのことに関して考えが浅いんだな」などと取られかねません。

 つーか、少なくとも僕はそう思います。

 討論が成立するというのは、実はお互いがその問題に関して熱心に考えていることの表れなんですよね。

 まあ、なので僕は討論で負けたときは、自分の思考力不足だと思うようにしてます。もちろん憤りは残りますが、自分の身から出たことですから仕方がない、と。



 ですが後輩の破綻した討論を見ると、結構イライラ来ます。

 経験上、大学での討論の破綻が起こるケースは、どちらか片方が明確な志向・思考を持っていない場合、どちらか片方が状況を理解していない場合の2つがほとんどですかねぇ……。

 うーん、有志で集まったサークルにあってはどちらもご法度なんですが……。

 なんだかなぁ。

 

 しかも最近は討論避けすら始める人も……。

 討論が生まれないような、非熱心なところの何が魅力なのかなぁとか思いますが、その考え方は古いんだろうかなぁ。娯楽だけのサークルに意味があるのだろうかー。

 

 ……。

 ま、つまりは討論は出来るときにしておけというお話でした。



 なんか文章が枯れている気がする。

 3点リーダ多いし。