母方の実家
へ、行ってまいりました。
昨年の十月末に祖父がなくなったので、今では78歳の祖母が一人暮らし。
最近は悪徳商法やら、宗教団体の勧誘やらが、一人暮らしの老人を狙ってくるご時勢なので、かなり不安に生活している様子です。
母親はずっと心配していて、かなり頻繁に会いに行っております。もちろん僕も同じで、帰省したときは必ず会いに行くようにしてます。
やっぱり一人暮らしは体調の管理をないがしろにしがちになるのか、けっこう一気に老けたようだ、と母は口癖のように言います。実際、僕の目からみてもそう見えますね……。
健康に気をつけて、長生きしていただきたいですね。
さてそんな中、僕は母方の実家に着くなり神棚のまえでマジ謝りです。
実は例の腕時計、まだ見つかってません。やばいです。非常に。
外ではずすことはほとんどないので、間違いなく部屋にはあるはずなのですが……。こりゃ、最後引越しのときまで出てこないかなぁ。と。
とにかく、粗末に扱ってしまったことは事実なので、頭下げてきました。
じいちゃん、ごめんなさい。
ちなみに父方は祖父祖母とも結構元気です。しかし、こちらの祖父のほうも、母方の祖父が亡くなったのと同時期にヘルニアと腸閉塞で入院。年明けにようやく退院して戻ってきました。
なので去年末の二ヶ月は、かなり精神的にまいったりしていたのですが――。
……。
ここで僕の人格的問題が発覚しました。
去年の11月、12月。両祖父が命の危機と戦い続けているとき。
今年2月ころに一応の完成を見た長編小説。
そこで、僕は嬉々としてヒロインの祖父死亡エピソードを書き進めていたのです!
しかも極めて機械的に。小説として必要な要素と計算して使ってます。
これは危ない。人間として異常ですよね。
もちろん現実での出来事が創作物に影響を与えるというのは、極々当たり前のことです。しかしながら、ここまでネガティブな反映の仕方をしなくてもいいのになぁと。何でこんなこと書いていたんだろう。
しかも書いてる間は、どれだけやばいこと書いているかが分からない。このことに気がついたのも実はかなり最近です。
嗚呼。あのときの自分よ、教えてくれ。
どうしてこんなこと書いたんだ?
これは、カウンセリングを受ける必要性があるということですかねぇ……。
この小説は某小説大賞に応募する予定です。もちろん入選狙いでいってます。しかし、まかり間違って入選しても、家族には言えないよなぁ。これ。
時計のことと並んで、家族への秘密(特に母親には)が増えていきます。
というわけで、「祖母には長生きしてほしい」「モノは大切に」「正気と狂気は紙一重」というお話でした。
話題のネタがぽんぽん飛んで、読みづらいなぁ。すんません。