卒業式終了……そして来年の今日
いやー、終わりました。卒業式。
無事卒業なされたサークルの先輩方、おめでとうございます。
そして、いろいろありがとうございました。
――これで、僕も最上学年になります。
大学最後の一年間……もう最後ですよ、最後。丁度一年後(うちの大学の卒業式は毎年3月15日でほぼ固定なので)には僕も送り出される側なわけで。なかなか感慨深いものがあります。
しかし、追いコン・卒コンは年々参加者が少なくなっていますね。特にウチの代から顕著になってきたので、なんともいえないのですけど。
だんだん先輩・後輩関係が希薄になってきていることを感じさせられました。
一昔前の学生は「付き合い」をすごい大事にしていた感がありますが、今の学生はそうではないのかな? と思います。飯食いにいこうぜ、軽く飲み行こうぜ、と誘ってもついてくる人間はかなり少数。
いや、まあ金もかかるしいろいろ大変なのは分かるんだけど。そういうのがないと、話す機会とか、生まれにくいじゃないかなぁと。基本的に人間っていうのは、長く一緒にいた分だけお互いのことが分かるもの。それによって、必然と話をする機会も増える。そして、互いにどういう人間か認識し、良い面嫌な面を把握して、その人自身を理解していく。
なんか恋愛のノウハウみたいですが、当たり前ですがそれも人間関係の一つですからね。根本は同じです。
そのきっかけとして「飯」「飲み」というものがオーソドックスだから先輩は誘うわけです。いや別にそれ以外でもいいですけど、舞台等の催しとか博物館とかテーマパークというのはどうしても個々の思考が出るので、ある程度人のことを知らないと誘いにくいわけですよ。
まあ最近では「飲み」のほうも、かなり好き嫌いがでて来ていますが。正直、世間で『アルハラ』とか負の面ばかりを強調されすぎている気がするのですが……問題が変わるので掘り下げない方向で。
まあつまり「付き合い」ってサークルでいっしょになる人と仲良くなるための、かなり最適化された方法だと考えられるわけです。
だけれども、この考え方は少数派だったようで、僕の同学年とかはあまり飯とか飲みに参加していませんでした。僕からすれば「せっかくの機会なのに?」と言いたいとこなのですけど……彼らは結局なじめずに辞めていきました。なじむチャンスは用意されていたのに。
で、以降だんだんその傾向が強まっているような、そんな気がするのです。
まあ、価値観の問題なので仕方ないことかもしれませんが、逆に言えば、「付き合い」が好きではない=人との対話(これはもちろん会話するというだけの意味ではないですよ?)に価値を見出せなくなっている人が多くなってきている、ということ。最近の僕の後輩には、その対話を拒絶すらする雰囲気も見受けられて、もうなんというか、残念な限りです。
他人との対話が出来ない人の、集団。なんだそりゃ?
想像できませんが、だんだんそういう世代だけになっていくのかなぁ。
『寒い時代だと思わんか』(byワッケイン少佐)
……。
とにかく、長くなりましたがとどのつまり、
「来年僕らが卒業していくときは、どの程度集まるのかなぁ」
というお話でした。
さて、ブログ概要のところにある「ちよ父」という単語、万が一分からない人が居たら、「あずまんが大王」「ちよ父」あたりでググると出てくるはずです。
Myフェイバリット生物です。よろしく。