朝の特撮雑感

>カブト
 剣死す。
 とはいえ、キャラクターやシーンの矛盾が何点もあるので、盛り上がらない。最後のじいやとのシーン演出は、いわゆるイメージシーンというものだと思うのでまだいいんだけど、変態兄弟が急に光を求めだしたり、ガタック海落ち→何事もなかったかのように戦う→捕虜という展開、また、今までの強敵がかなりあっさり倒されてしまったりというのは、かけあしすぎて滑稽さすらある。

 クロックアップしているときの井上敏樹氏の脚本に共通することではあるんだけども、視聴者が話をみていくステップの重要な部分をかっ飛ばしてしまうというのが厳しい。ときどきそのすっ飛ばしがぴたりとはまって爽快なのだが、今回のカブト、前回の響鬼の終盤などのはしょりかたは、正直どうかなぁと首をかしげてしまう。

 しかし、どちらもアクシデントが起こった作品なのでなんともなぁ。
 響鬼ほどの珍事ではないので、あまり目立たないが、今回のカブトのものもかなり厳しかった様子。ハイパーゼクターのおもちゃが顕著。あれがどこまで後付けのものなのかがよくわかる。

 当初は、
 カブト→単体で強い虫
 ザビー→集団で動く虫。統率者の証。
 ドレイク→雌を求めてどこからともなく飛びまわる虫。風来坊。
 サソード→毒虫。ライダーの中にいる『毒(ワーム)』
 ガタック→カブトムシの対となる虫

 と、それぞれキャラと、ライダーの特徴が合致していて面白いなぁと思ったんだけど。
 ドレイク編以降、彼が諸々の事情で物語りに関われなくなったこともあり、てこ入れのようになんだかよく分からない面白イベントを盛り込んだ結果、収集つかないままずるずる、という感じ。一個一個のキャラや設定は面白くはあるんだけど……。さて、あと数話。どう終わらせてくれることやら。

>メビウス
 ウルトラの父降臨祭の話。
 そういや過去もウルトラの父ってなんかクリスマス近辺に来てた気が。
 『バーニィの命日』と並んで、ヲタクがクリスマスを暗喩する便利な用語にノミネートされました(拍手)。
 
 しかし、前回のレオ登場編もそうだったけど、
 「怪獣とか宇宙人はあんまり理由なく喋っちゃいけないよなぁ」
 と思うのですよ。
 最近セブンとかをみているせいもあるんでしょうがね。

 まあつまり逆を追って考えると、「宇宙人が人語を解する」ということは、すなわち「わざわざ人間の言葉を理解して、地球にやってきている」ということ。ただ星を破壊するだけが目的なら、そんなメンドクサイことしなくていい。そこに「交渉」とか「対話」とか「人間社会の裏をかいた謀略」などの動機がないと、「人語を喋る」必要性はないわけです。
 それがなくて、ただ喋る宇宙人って――変でしょ?
 もちろん、ウルトラマンや、それに変身する人と話をするとかならありなんだけど。あいつらはいろいろな宇宙の言語を知っていそうだし。

 あと喋るなら喋るで、もう少しその生命体の思考というかが読み取れるほうがいいかなぁ。『メビウス』に出てくる怪獣の喋りは、なんというかジャンプ漫画とかの敵役の台詞と同じなんですよねぇ。いや、ジャンプ漫画とは限らないのですが、いわゆるステレオタイプな敵の口調なわけです。
 良い意味での異星人、異種族というものを匂わせる喋り方をして欲しい!
 例えば、『ウルトラマン』でのダダ。

 「ゆけ! ダダ○○○号よ!(番号忘れた……)」

 とかやられると「ああ、こいつらは知的生命だけど、全員が番号で管理されているんだな」とかわかって、非常に面白みがあり、且つ「こいつらは地球の価値観とは違う」という一種の不気味さがにじみでて、ぐっと異星人っぽくなると思うんですけどね。
 ああ、でもいまの世論的にこのやりかたはひっかかるのかな……。


 ちなみに、ウルトラの父降臨祭を

 『ちよの父』降臨祭

 と常時読み替えて見ていたのは、君と僕との秘密だ。