平成ライダー考察:第一回『アギト』

仮面ライダーアギト VOL.1

東映


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 というわけで、写真はDVD1巻。

 でも書く内容は作品全体について。

 ネタバレ注意。 



 前にも書いたかもわかりませんが『アギト』が純粋にすごいと思ったのは「記憶喪失に、記憶喪失以上の意味をもたせたこと」にあると思っています。

 

 見たことない人のためにあらすじを書くと、この作品の主人公は、ある海難事故にあったあと記憶喪失となってしまいます。

 ヒーローモノの導入としてはもう王道中の王道。

 で、ここで普通は「俺は……○○だったんだ!」と記憶を取り戻し、壮大な人間ドラマを演出するわけです。



 が、『アギト』は違いました。

 実は仮面ライダーアギトはあるきっかけさえあれば、人間全てが変身できる存在だったのです。いわゆる人が進化する可能性を秘めた存在であり、力を得て進化した姿がアギトなのです。



 しかし、多くの人は、自分が人間ではない別の姿になってしまうことに危機感を覚えました。己が己でなくなってしまうことを恐れて自殺するものまでいました。さらにはアギトの力におぼれ、自分だけがアギトであればいいと考える人、自分も力が欲しいからアギトになりたいと望む人も出てきました。



 そんななか、なぜこの作品の主人公だけが、ただひたすら人を守るために戦う英雄「仮面ライダー」にになれたのか。

 人間として生きてきた過去の記憶があれば、人は普通上に書いたような行動を取ります。しかし、主人公だけは力におぼれず、かといって恐れもしなかった。

 

 ここが『アギト』の上手いところです。

 つまり「人間としての過去をいっさい忘れていることによって、自我の拠り所をなくした主人公は『アギト』という存在をすんなりと受け入れることが出来た(アギトとなって人を救うことが自我になった)」

 記憶喪失であることによって、彼はヒーローになれたのです。



 そう考えると、ヘタレていたと評判のラスト五話は非常に意味のある話だったように感じます。主人公は、アギトの力に目覚めはじめ、己の存在について不安になる少女の前において変身します。そして、襲い来る怪物と戦うのです。これはつまり、主人公が人類が進化する上での道しるべになったということを表すわけです。

 

 そんなわけで『アギト』という作品を僕が評価するのは、「記憶喪失」という使い古されたシナリオフックを、非常に合理的な形で、しかもヒーローというものにぴたりとあう形へと昇華させた点にあるといえるでしょう。





 もっと語るとキリがないので、まあ要点だけつめてみました。

 我ながらわかりにくいなぁ……。すんません。

 明日には文章変わってるかもです。



 ともかく、次回は気が乗ったときに『龍騎』編でいきましょうかねー。