某所曰く
「ゲーム製作スタッフは打たれ弱い」とのこと。
このワードでぐぐれば、どこがソースかわかるはず。何せ仕事の合間に見つけたのだから。
とはいえ、これはクリエイター全般に言えることではないだろうか。
「批評」ならいいのだ。作者も受け手の意見を把握することが出来、よりよくステップアップする礎となる。
しかし、単なるクレームや罵倒というのは一番堪える。
ただ「つまらなかった」「クソだった」と言われても、その要員がはっきりしない。言われた側に精神的にストレスが溜まるだけだ。
もちろん、自身で改善点を見つけるということもクリエイターには必須のスキルではあるのだが……。
とはいえ、受け手の皆様には、意見をいうということが、以外に重い意味のあることだということを理解していただきたい。
近年の娯楽作品の質が落ちたという類の事柄は、過去の作品を知るよい意味での「ヲタク」たちが顔を付き合わせればほぼ決まり文句と言ってもいいほど出る言葉だ。
しかし、作品の衰退とは、製作側の衰退であると同時に、受け手側の思考能力(作品のどこが良く、どこが駄目なのかを考察する能力)の衰退が要因であるとも考えられる。
ただ「自分が満足するようなもの」が配給されるのは当然で、それからはずれたものには脊髄反射で文句を言う。
もちろん需要に応じて供給するのもクリエイターの役目ではある。
が、それが当然で、受け手側がすべからく偉く、それに合わせない製作側がすべからく悪いというのは、単なる傲慢である。
悪いなら何が悪いか、良いならなにが良いか。
良いものを作るという義務を製作側に課すならば、受け手側は、それをはっきり認識するということを考える必要があるだろう。それが無ければ、作品は衰退する。
最近は、これが出来ない人が多くなってきているのではないか。
「クリエイターの質は落ちた『かもしれない』。だが、それを見るものの質は確実に落ちた」
そして、そんな質の低い受け手(いやらしい発言だが、ご容赦願いたい)に向けて作品を作れば――という悪い循環が生まれ始める。
これが、現代メディアにおける僕の持論である。
いや、そんなことは無い。受け手にも頭のよい奴はいっぱいいる。
とおっしゃる方がいれば、恐らくその方はこういう事柄を真面目に考えられる方だ。僕はその人にこの上ない敬意を示した上で、おそらくこう応えるだろう。
「なら、今すぐ全ての人間に英知を授けてみせろ!」
有名な言葉である。