機動戦士ZガンダムⅡ 恋人たち

機動戦士ZガンダムII 恋人たち

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 というわけで『劇場版ZガンダムⅡ 恋人たち』。



 劇場版一作目のテーマは「星を継ぐ者」の名のとおりスペースノイドすべてを従わせんとするティターンズと、その退行組織であるエゥーゴの対立があることを描き出すことで、MkⅡ奪取→ジャブロー降下から、アムロとクワトロの再会を描いた。



 で、2作目。

 テーマはその表題のとおり「恋人たち」で、ホンコンシティのフォウ・ムラサメ編→サラ・ザビアロフとの接触編→そして、アクシズ介入編とつなぐ。

 この間、かなりキャラクター同士敵味方入り乱れての男女の交流が展開される。

 おそらく、『Z』を見たことのある人間であるならば、それはいちいち語るまでもない。



 だがこの記事を書くに当って、作品内で描かれている男女の関係を列挙してみよう。



カミーユとフォウ

カミーユとファ

カミーユとサラ

・クワトロとレコア

・カツとサラ

・エマとヘンケン

シロッコとサラ

・ミライとブライト

アムロベルトーチカ

・ジェリドとマウアー



 細かいのまで拾うとこれくらいか。

 かなり多い。正直、これが全て尺に収まっているのが不思議でならないが、それは『Z』総集編であるからというところも大きいだろう。



 さて、ではこのいくつもの「恋人たち」。これが何を意味するか?

 いや、もちろん本来『Z』が内包していたテーマではあるのだが、本作はそのどれもが追加シーンによってより鮮烈に描きなおされている。特に6番目にあげたエマとヘンケンは書き下ろしシーンを二つ使ってまで挿入している。

 そして、それらのほとんどは(尺の都合もあるかもしれないが)刹那的で、例えばフォウの助力によって宇宙に上がったカミーユは、そこで自分を拾ってくれたファにキスを求めたりする。



 『機動戦士ガンダムSEED 総集編』を見たあとということもあるかもしれないが、僕にはこれが『SEED』に対する批判に見えてしまった。



 『SEED』シリーズにおける男女関係「キラとラクス」「アスランカガリ」「シンとルナマリア」などは予定調和すぎている。キャラクター同士の一直線のつながりは美しい。が、ご都合的、漫画的でリアリティは薄い(無印『SEED』序盤のフレイの存在はそれを脅かすものだったが、中盤以降それはほとんど意味を成さなくなっている。なんかベッドシーンとかで問題がいろいろあったらしいが……)。



 また『SEED』は腐女子たち――いわゆる801支持層に受けた話だった。そして、製作側もこれを意図してやっていた部分が見える。



 で、富野氏はここに反抗した。そんな印象を受けた。

 予定調和の恋愛に対する、男女間関係の刹那さ。

 ホモセクシャルに対する、ヘテロセクシャル

 この作品のキモはここなのではないか、と。そう感じる。





 さて、単純に作品としてのまとまりはどうか、というとこれがなかなか難しい。

 実はテレビ版における上記の流れは、人間関係が濃密な上、キャラクターが地上と宇宙を行ったり来たりするので、総集編で映画としてみた場合、収まりがよろしくない。シャトルで宇宙に上がったはずのクワトロがカミーユと入れ違いになんの説明もなく地上に降りていたりする。



 また、一作目は完全に原作の流れを踏襲していたが、今作はそれを変えた。細部から、大きなところに至るまで変更を加えた。

 大きなところでは、ダカール演説などの部分を大幅カット。あとはフォウをスードリで殺してしまったこと。尺の関係上、キリマンジャロ降下以後の地上編をカットせざるをえないことを考えると仕方のない措置か。



 あと細かいところでは、ルオ商会とのコネをアムロが繋ぐのではなく、カイ・シデンが手を回してくれていることになっていたりする。納得できる変更点とはいえ、アムロに残った少年性を描いていたルオ商会周辺がカットされたことは、少々残念である。



 総評を言うと、テーマである「恋人たち」を描き詰め込んだが故、『Z』本来持ち合わせていた面白い部分も少々削り落としてしまった、あるいは落とさざるをえなかった。

 そんな印象を受ける。



 それが是か非か、と問われたら――少なくとも主題が語れているので是なのではないか。

 もともと、『Z』をある程度見ている人のためのものであることも確かであるし。