攻殻機動隊S.A.C

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 最近見直していたので。あと、見ていたときの分コメントしてなかったと思うので。どっかで書いてたらすいません。カテゴリ機能にしてなかったときこういうのを後悔するんだよなぁ。



 で『S.A.C』。



 最近のテレビアニメの中で、正直、これに勝るものはない。



 ここ最近では、年に一本は深夜アニメで「これはっ!」と思わせるものがあり、それは現代技術で当時の雰囲気を壊すことなく創りあげた『鉄人28号』だったり、「萌え」という現代の要素を含みながらも、それに依存することなくしっかりとした物語展開をした『魔法少女リリカルなのは』だったりするのだが、そんな良作たちの中でさらに選りすぐりの一本を挙げるとしたら、今のところこれになるだろう。

 続編『2ndG.I.G』は良作ではあったが、無印『S.A.C』を越えるものではなかった。その理由はあとで説明する。



 起こる事件、その解決に向かう公安9課の面々という構図。

 実は非常に単純なものなのだが、それを綿密に練り上げられた世界観が異質且つ斬新なものにする。

 

 画像に挙げた『The Laughing Man』――劇中における「笑い男事件」は、その象徴的なもので、2032年新浜に生きる人々と、電脳化・義体化というサイボーグ技術の相互作用が起こした「現象」である。

 それには、確かな説得力があり、視聴者を驚かせつつ引き込む。



 思うに『S.A.C』は世界観の元に成り立っている。

 いや、厳密に言えばそれは全てのメディア作品がそうなのだが、これはそれが強く主張された形になっている。



 ぶっちゃけた話をすれば「笑い男事件」に絡む話に限って言えば、実は「笑い男」という存在と「起こった現象」さえあればよく、それの真相に迫る「公安9課」は別に誰でもいい。そう、草薙素子――少佐という人物でなくても「電脳戦に強い人」であればいいのだ。



 9課の面々のキャラクター性が生きるのはどちらかというと間幕劇に当る「暴走の証明」「ささやかな反乱」や「密林航路にうってつけの日」や「タチコマの家出/映画監督の夢」などで、そこで彼等のキャラクター性を強調した上で「笑い男事件」に絡ませているため、そのキャラクターの必要性を感じさせるだけ(とはいえ、これがキャラクターへの移入を促し、話の盛り上げるので重要なのだけど)なのだ。



 これは以前書いたと確信しているが、押井守氏は作品の作り方について「『世界観』があり『物語』があって『人物』ができる」

 と明言している。それが綺麗に反映されているものであると考える。

 『S.A.C』という作品で主軸として魅せたいのは「高度機械化・情報化された社会」であり、そこにおける「笑い男という現象」であるのだ。

 他のキャラクターの動きはそれを盛り上げるだけの副要因に過ぎない。が、サブストーリーを上手く絡めたりすることによって、それも主要因に昇華できるだけのつくりをしている。

 そこが『S.A.C』を名作とし、ここに絶賛する理由である。



 で『2ndG.I.G』はなぜそれより劣ると感じるかというと、そこからテーマが変わって、キャラクターの情などにスポットを当てすぎたと感じたからである。『S.A.C』の魅力とはその「世界」と「現象」というSF的なものだった。「笑い男」に変わる「個別の11人」という存在があったとはいえ、その土台をキャラクターエピソードにシフトさせすぎたため『S.A.C』で構築された「良さ」と齟齬を起こしたのが『2ndG.I.G』の評価がどうしてもやや低くなってしまう理由だろうと考えられる。

 個人的にはタチコマ自己犠牲の二番煎じをしたのも大きい(とはいえ、この最終話の後で四郎正宗氏の原作に登場した「フチコマ」に乗換えが行われるのは良かった)のだけれど。



 

 ――で。

 なぜいまさら『S.A.C』についてこう書いたのかといえば、第21話「置き去りの軌跡」において、草薙素子がサイトーの大型ライフルを借り、激昂しながら敵のパワードスーツに銃弾をぶち込むシーンが妙に好きという声をよく聞くからである。



 好きな方には申し訳ない。

 が、実は上記の理由から、あそこは僕にとって『S.A.C』中最も嫌い――というか、変だと感じてしまうシーンなのだ。せっかく「笑い男」の謎や裏でうごめく陰謀を追っているシーンに関わらず、少佐の「感情」による解決が行われてしまう唯一の部分で『S.A.C』のテーマ――『独自の世界観における、笑い男という現象とその対応』との兼ね合いを考えると、やや不条理な印象を受けてしまう。



 「少佐がそういうひとだから」という考え方はもちろんできるが、彼女のキャラクター性という意味でもあそこは変だと感じる。

 というのも、彼女の「怒り」は一度、第8話「恵まれし者達」で臓器密輸を行っている医学生たちに対してぶつけられている。

 が、これはその回で、自分と同じ年で義体化を余儀なくされた少女などの動機となるエピソードがあった上での、自ら裏組織の人間を装って医学生達をジリジリ追い詰め懲らしめるという非常に計算づくな「公安のリーダーらしい、理屈で消化された怒り」だった。



 21話のそれの動機は、その前の話で重傷を負ったトグサに関しての復讐心か? それとも自分が攻撃を受け「破壊」されそうになったことへの怒りなのか? 動機がイマイチはっきりせず、「怒り方」もそれまでの少佐らしくない。



 あそこは何を表現したかったのか?

 この22話以降も、よりシリアスに理屈で進んでいくので、どうしてもここだけ浮くのだ。未だに理解に苦しんでいるのだが……「刹那的な怒り」という人としての部分を強調したかったのだろうか……?