しっかし

 何だかんだで週4回は授業があったりR研の活動があったりするので、結構大学にいるという罠。

 うやむやのうちに、ブログ仮復活ということで。





 さて、昨日の晩、『鋼の錬金術師』の再放送見てました。

 ヒューズ中佐が死ぬ回です。



 最近は、誰かキャラが死ぬと、某大衆掲示板で祭りになったり、いろいろネタとして扱われることが多いです。しかしそんな中にあって「その死をいたまれるキャラ」というのはなかなかいないなぁ、とか考えてしまったわけです。



 僕はこのヒューズ中佐が死ぬ辺りまで原作を追っかけていた(それ以後は一人暮らしに雑誌は重たいと考え始めたので、買わなくなってしまった)んですが、中佐の死は、確かに作品内でも、そして受け手にとっても惜しまれる死であったと思うのです。

 上手く描いたなぁ。

 

 この「受け手に衝撃を与える、キャラクターの死」というのは、物書きとして非常にあこがれるところです。



 やはりキャラクターの死には可能な限り意味を持たせたい。いい死に方をさせてやりたい。そう考えるのは、作り手の単なるエゴなのかもしれないのですが……。

 しかしながら、キャラクターの終焉という意味でも、物語というものにおいて「死」を印象付けるにも、そこにどれだけ意味を乗せられるかに、その影響力は強く関わっていると、僕はそう思うのです。

 そういえば『あしたのジョー』の力石はリアル葬式まで行われたなぁ……すごいなぁ。



※補足

 敵役の死というものには、障害の除去、主人公の成功という意味が比較的簡単に乗るのですが、仲間の死というのが難しい。失敗するとガンダムSEEDの最終回みたいなことになったりするわけで。 



 では最終回レビュー続き。

 

スピードグラファー

 最後どうなるかというのがイマイチ予測できなかった作品だったが、綺麗にまとめた。天王洲グループという財閥の設定も生きたし、敵役である水天宮の動きも納得がいった(最後三、四話で背景を本人がベラベラ喋ったのはいただけなかったが)。

 主人公の能力も変に強くならず、工夫を凝らして勝利していくという様が面白い。また、その能力が彼のジレンマとなっていくのも良かったと思う。

 個人的には今期でかなり面白かったほうだと思っている。

 だがしかし、2クールでやるのだったら、もっといろいろまとめられたのでは? と思ってしまうものがあるのも事実。