昨日今日〜。

 ちょいといろいろありまして、べろべろです。

 友人づきあいと、家族食事の二連荘はきついです。しかもどっちも飲み。おうのー。



 小説は、続々と意見をいただいて、着実に良いものへと仕上がりつつあります。ありがとうございます。あと二日か! 全力でやりきるぞ!

でも、酒が入ったりしてます。ひどいや。 

 え、卒論? そこまでは知らんよ。



 

 さて、実家にいる間『ガンダム種死』を見ています。

 正直、前作・今作とwebのあらすじだけでおなかがいっぱいだったのですが、ここ三話くらい分析も兼ねてじっくりと。



 とりあえず……これは、ガンダムを素材にしていなければ面白かったのに! というショックが襲いました。いや、もちろん面白いと思う点は確かにあるのです。シナリオで致命的なアラが目だったりしますけど。



 僕の中で、やはり、ガンダムと言うのは『繰り返す争いと、その中の人間の葛藤』を描いた、ある意味で哲学のような側面を含んだ作品であるというのがあったのです。

 

 が、しかし、種死は最近のエピソードで、アークエンジェルサイドは、それを超越する方向で動いています。つまり、戦いを止めるための戦いです。絶対的な、ひとつの正義の立場を作ってしまっているのです(悪意をもった解釈をすれば、ぶっちゃけこいつら、フリーダムとジャスティス、そしてキラとアスランの力におぼれているんじゃないかとすら思えます。普通はそうでもないと、MS2機……発進当初はフリーダム1機で独立して動こう何て発想は出てこないかと。ガンダム1機で戦争が出来るのかなぁ。しかも、彼らには、明確にどうして行くのかという指針がないので以下略)。そのために、争いのカタルシスも、人々の葛藤もイマイチこころに響かない……。

 

 僕が尊敬する脚本家の一人である都築氏は、こう言っています。



『原作がどんなにつまらなかろうと、その原作の良さや要素は生かしながら面白く仕上げるための破壊は「善意」。原作の存在意義や方向性そのものを破壊する、要は原作ファンの存在や愛情を根こそぎ否定をするような破壊法が「悪意」』



 ファンの方には申し訳ないですが、SEEDシリーズは少なからず「悪意」をやってしまった作品ではないかと僕は思います。

 確かに、ロボット・ヒーローという路線のものとしては正しいですし、ある意味心境地を開いたともいえます。ぶっちゃけ、面白い部分はあります。

 ですが……それはロボットアニメの面白さであって、ガンダムが暗黙のうちに継承してきたものが、覆されてしまった寂しさというかを感じられるのです。



 でも、やっぱ、こう語るのは、過去を知る老人のたわごとなのかなぁ。とりあえず、ある程度レンタルで出たら、一気に全部見てまた感想書きます。これは、ここ最近の流れを見ての発言と解釈ください。 



 ……。

 実は、こんなことを書くきっかけになったのも、たまたま一緒に種死見ていたウチのおかん(!?)が、ふとこんな話をしたからです。





 以下、伝説的なおかんの一言。



「あれー、これが今やってるガンダム? なんか、ガンダムって、アニメを越えたアニメってイメージがあったけど、なんか、これはただのアニメになっちゃったって感じがするわねー」



 ……全米が泣いた

 こんな感性持ったおかん、普通いねぇよ。

 ありがとう、俺あんたの息子でよかった(爆)。



 しかし、というか、おかんよ。

 あなたが見ていた昔のガンダムって、僕が小さかった頃のVガンあたりじゃなかとですか?

 冨野氏という意味ではいろいろ正しいですけど、それは、あの、ちょっと問題が。いや、作品としては高評価なんですが、その、皆殺し分のことを指されているのであれば……。