戦友の死
2005/6/19。
今日、僕は3年と3ヶ月付き合った親友と別れた。
彼は自転車。
大学入学とともに買って後、僕が電車の匂いと人ごみにやられて片道五十分の自転車通学を始めてからも、荒っぽい運転に耐えつつ、ずっと付き合ってくれていたのだ。
しかし、今日で寿命が来た。
池袋。サンシャインクリエイション28当日。
人ごみを避けるために、歩道の段差の端に乗り上げて、後輪を落としたときだった。
ばちん。
金属の弾けるような音がして、彼の後輪が止まった。
タイヤは泥除けに食い込んだ状態で、そのまま前にも後ろにも動かなくなっていた。
僕はは、自転車を手近なところに止めると、徒歩でイベント会場へいそいだ。この手のイベントに参加したことがある人間なら分かるかもしれないが、一般入場開始の少し前から、入場がある程度落ち着くまでの間、参加サークル通行証をつかっての入退場ができなくなるのだ。
なんとかぎりぎりで無事に会場到着し、本の準備や、周りの様子などを見て回っていた。
そして開場。
イベントはとても活気があり、僕も楽しんでいたが、それぞれのブースを見て回っている間もずっと、自転車のことが頭から離れなかった。
昼を回って客足が安定してきたところで、僕は自転車のところにもどり、自転車屋を探した。
どうやら新米らしい警察官に場所を尋ねそこへ向かうも、そこの自転車やはしまっていた。不快な梅雨の高温多湿の中、僕はサンシャインの周辺を、後輪の動かない自転車を持って歩き回った。
途中、コンビニで道を聞いた。
中に入るとき、癖で自転車に鍵をかけようとして、後輪が動かないので無駄だと思いやめた。
どうやら、造幣局の向かいあたりにあるらしいとのこと。場所はなんとサンシャイン文化会館近くの交差点信号向かい。無駄にサンシャインを一回りしてしまった。
最初に道を聞いた交番も近かった。どうやら地理に不慣れな警官に踊らされたようだ。
やっとのことでついた自転車屋の主人に症状を見せた。
後輪のタイヤのスポークの、三分の一が折れていた。
もともと中古で買ったもので、金属疲労がひどく折れ易かったのだが、まさかそこまでとは。
その安定を失ったタイヤにうけた衝撃が致命的だったようで、タイヤ軸とその基部が歪んでしまっているらしかった。
これはもうあきらめたほうが良い、という自転車屋になんとか復路分持たないかと駄々をこねて試してもらったが、結果は実らなかった。
思えば一週間前からタイヤが不安定になっている兆候はあったのだが、雨の日と、朝の早い日が交互に続いたために、修理に行こう行こうと思っていながら行けていなかった。
そこで乗り回した結果がこれ。
だが壊れかけながらも、なんとか池袋までは着いてくれたのだ。最後まで、わがままで乱暴な僕の言うことをよく聞いてくれたと思う。
3年と3ヶ月というのは僕が、東京で出合った人・モノの中で最も長いものである。そして、自転車通学をはじめてからというもの、最もともにいる時間が長いものの1つでもあった。
それがなくなるのは、まるで知り合いが一人死んだかのような、そんな空虚さを胸に残した。
最後。
後輪がもう動かないので、板橋区の果てまで連れ帰れるはずもない。真に迷惑極まりないが放置自転車として扱ってもらい、回収を待つのが妥当と考えた僕は、彼を道に止めた。
そして鍵をかけた。
ただ放置すればよかった。どうせもう動かない。そして鍵をかけてしまうのは、回収の人に更なる迷惑を強いることも知っていた。
だが、僕は鍵をかけた。
それが彼への、最後の礼儀のような気がした。
いままでありがとう。そして、さらば。